蘇州・上海旅行(2)


  2日目(10月24日)

 朝から蘇州に来れば是非立ち寄りたい水の町「周荘」に向けて車を走らせた。
市街地から南東に当るのか上海の西北「定山湖」の近くに有り、車で約40分程かかるが、中国第一の水郷の里、そこは東洋のベニスである。

「周荘」古来この地域は「貞富里」と呼ばれ「周荘」という名が歴史に現れたのは、
今から約900年前、北宋時代の元祐元年(西暦1086年)であると云う。
当時周さんという人が仏教ヘの篤信から、自分の邸宅を寺として提供し、さらに付近を開墾した田畑約13ヘクタールも寺に荘田として寄進した事から人々が大いに感謝し、その荘田を周さんの名をとって周荘と呼ぶようになった。

その後、元の時代、瀋祐という人がこの地に拠点を構え、その子の瀋万三の頃、この地が水路の多い交通の要衝としての位置に活目し、交易を盛んに行い繁栄して江南地方の大富豪となる。特に食料の他シルクその他各種手工業品の集散地として発展した。今でも蘇州近郊はシルク及びその刺繍、竹製品等の手工業品生産地としても有名である。

 又、明、清代には街が更に発展し江南地方の重要都市の一つとなる。そうして各地から商人が集まり人□も増加し拡大を遂げた。
尚、その頃までこの地は正式には「貞富里」という名称の侭であったが、清の康熙年元年に正式に「周荘」に改称されたと云う。



このように、この地は1000年近い歴史と水路、水流、古い家並みが織り成す風情は魅力的で重要な文化遺産となっている。そのため、街中には車は入れず、我々も駐車場から人力車で街の入口まで行き、入場料一人60元を払い後は街中を徒歩と手漕ぎの小船で観て廻ると云う趣向である。


 
丁度、茨城県水郷潮来の観光舟か、ベニスのゴンドラである。頼むと地場の唄も一曲10元で歌って呉れるそうだが、言葉が解らないから止めることにし「潮来船頭さん」を歌って置いた。(爆)



又、町並みは昔の侭に保存され、日本の飛騨高山の如く一切新規の建設改造は禁止されている。だから、ここでは明・清時代の町並みを其の侭味わう事が出来る。街中の水路には14の石橋が架かっているが全て元、明、清の3代の間に造られたものだ。

その中で最も有名なのが、世徳橋とそれに直角に連がる永安橋とを合わせて双橋と呼ばれる処だ。古い鍵のような形であることからカギ橋とも呼ばれる。明の万歴年間(1573〜1619年)に建設され、1765年、1843年、1957年にそれぞれ修築されている。東西に架かる橋は石積みのア―チ橋、南北に架かる橋は梁状に石材を渡したものであり、二つの異なるタイプの橋が見事に調和している。


 
この橋を描いた絵が周荘を世界的に有名にした。1984年ニューヨーク留学中の上海の画家、陳逸飛が双橋を「メモリー・オブ・ホームタウン」と題して描いた油絵がニューヨーク画廊に展示された。

油絵と水墨画の手法を用い江南の田園と水郷風景を描いた陳逸飛の作品は芸術専門誌に「ウェスタン画法への大胆な挑戦」と紹介され、この絵を買い取った米国人実業家が訪中した際、ケ小平に贈呈した事が大きく報道される。翌85年には「メモリー・オブ・ホームタウン」は国連が発行する記念切手のデザインにまで選ばれた。

この件があって双橋は周荘一番のピクチャレスクなスポットとなっており、橋を描く人や撮影する人が多数見掛けられた。