2000年6月 西安旅行記


第1日目(6月17日)薄曇

午後1時西安空港着、西安凱悦(阿房宮)飯店にチェックイン、直ぐに「大鴈塔」に向かった。市街から南約5キロ程、大慈恩寺境内に聳えている。
唐代648年の建立である。

勿論、何度も破損改修を加えられてはいるが、高さ64メートル、四方形角錘体の七層の
塔である。黄土と餅米で壁を作り外壁を煉瓦で固めたものだと云う。

内部は人が何とか身を捻じって擦り違えられる程の狭い階段が250段もあっただろうか、
最上部の7階まで続いている。そこから東西南北、四方が綺麗に見渡すことが出来る。
特に西方に真直ぐに伸びている道路を見ると、これがシルクロードの始発点かと感動した。



人によると西安城の西門からが始発点だと反論する方もあろうが、今の西安城壁は明代の構築で、唐代の城壁は東西30キロ南北50キロと大鴈塔はその城内にあったのであるから、
あまり些細な議論は無意味であろう。
何はともあれ、西方との交流の玄関口だった事には変わりはないのであるから。

玄奨(三蔵)法師が645年インドから仏典を持ちかえり、この「大慈恩寺」で75部
1335巻を全漢訳し、その経典を収蔵するため652年に建立されたのが、
この「大鴈塔」であるなれば、仏教徒の端くれを任じる私にとってはどうしても、
訪れて見たかった史跡の一つであった。

大鴈塔を降りてから「大慈恩寺」境内の薔薇園などを散策、陜西省歴史博物館は後日に回し、
横目で見ながら城内に戻り、1384年建造されたと云う壁内の観光シンボルの一つ
「鐘楼」に行った。


ここが東京で云えば日本橋的位置で、この一画を中心に、東西南北に大街が四方に伸びており、繁華街の中心でもある。既に夕刻であり、勤め帰りのサラリーマン始め、観光客で大変な賑わいを醸し出していた。

この鐘楼からワンブロック離れた先に「鼓楼」が見える、
この間小公園と云うか遊歩道を形成していて古都の雰囲気も感じさせてくれる。

これらは読んで字の通り、時刻が来れば、
鐘や太鼓を打ち鳴らし時を知らせたものである。使われたのは明代からだと云うから比較的新しいものである。

ここの広場に面して餃子宴で有名な老舗「特発長」がある。西安と云えば「餃子」だから、まあ「郷に入れば」の喩えに乗って、ここで、この日の夕食をとった。

クリントン前大統領も来店したと大きく宣伝していた。
味は特にどうと云うほどではなかったが、
170種類の餃子を作っていると云うだけあって形や色、味もとりどりで興味深かった。

古には楊貴妃が好んだと云う「真珠餃子」が歯の悪い私にとっては小さくて大変に結構であった。(爆)

「餃子」に就いては西安で貰った冊子を基に、別紙に纏めて見たので、興味のある方はここをクリックして読んでください。


食事後は西安市、夜の名物となっている露天屋台
が並ぶ自由市場を歩いてホテルまで戻った。
人を掻き分けながら、延々と続く「炭市街」や
「騾馬市」などを歩くのだが、細い裏道一杯に、
西域のシシカバブ、中国風ハンバーガー(肉夾?)、
水餃子、土鍋等の飲食店、子供向け衣類から、
最新ファッション、雑貨まで、はたまた、まがい物の
骨董品、何でも揃はないものが無いほど種々雑多なものが溢れんばかりに売られている、大変な活気である。丁度、終戦後のアメ横に紛れ込んだ感だった。


どちらの目が大きいかな

売っているぬいぐるみの目と売り子の目の対比が面白く撮って見た。
そんなことより、皆、屈託無く楽しんで 商売している様子だ。お客も結構ついていた。
中国の街の夜店でこんなものが商売になるとは10年前、誰が予想しただろうか。
本当に中国は豊かになったものである。



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